2009年9月5日土曜日

セスナ操縦体験 in バンコク

 バンコクに寄ることがあったので、そのついでにかねがね狙っていたセスナの体験操縦をしてきた。もちろん、セスナの操縦は初めてである。離陸から着陸まで、教官の手助けを得ながら何とか40分ほどのフライトを体験してきた。
 将来できればプライベート・パイロットの免許を取りたいと考えて早4年。その間、パソコンのフライトシミュレーターでなんども飛ばしてきたセスナ172スカイホークを今回、初めて機長席(左側)に座り操縦した。
 まず、率直な感想を言えば、当たり前であるが、パソコンのフライトシミュレータで飛ばすのと実機とではかなりの差がある。特に離陸、着陸に関しては、フライトシミュレータでうまくやれていても、かなり感覚が違うことを実感した。
 また、逆にフライトシミュレータがかなり練習になっていたことも事実である。おかげで滞空中の操縦はシミュレータでの感覚とかなり似通っていて完璧ではないだろうけども、高度の維持や速度調整などうまくできたと思う。この点は、教官も初めてとは思えないとほめてくれた。そして、シミュレータでの悪い癖も、見事なまでに再現された。そう考えると、パソコンのシミュレータの事前練習で完璧にソロフライトまでこなせれば、少なくとも離着陸を除き問題ないだろう。眼下に広がる風景を楽しむ余裕も生まれるはずである。
 今回お世話になったのは、旧バンコク国際空港(ドンムアン空港)にあるRoyal Airport Service という会社である。操縦体験のお題はずばり Flight Introduction (Cessna 172) である。このセスナ体験操縦は、以前は日系のある会社を通じて申し込むことができたのだが、すでに取次ぎをやめており、今回は直接 Royal Airport Service に申し込み実現した。
 セスナの体験操縦はハワイやグアムでもでき、値段も今回のものよりだいぶ安くできるようであるが、ハワイやグアムは何かのついでに寄るということはまったくないので、少々お高くついたが、バンコクで体験操縦をすることにした。金額はずばり、税込み 16050 バーツである。約2.8倍すれば日本円になる(以前より2000バーツ高くなっている)。
 Flight Introduction の中身は、事前の案内では講義1時間、体験操縦1時間とあった。予約は少なくとも3日前までに直接申し込む必要がある。今回は、メールでセールス部門に予約を入れたが、名前と日にちを伝えただけでOKだった。支払いは、終了後にカードでOK。
 予約にあたっては天候に注意した。この時期バンコクは1日1回は雨が降るような時期であり、特に夕立のスコールはすさまじいものがある。そんな中で飛ぶことはあり得ないので、比較的雨が降りにくそうな午前中をお願いしたところ、ドンムアン空港に朝9時来るように返事があった。メールにはその程度しか書いておらず、当日どのような手順になっているのか何も書いてなかった。
 空港には念を入れて早めについたが、あまり意味がなかった。9時ちょっと前で十分であった。メールでやり取りをした女性のスタッフが迎えに来てくれた。
 バンコクの南に開港したスワンナプーム空港が国内線含めてフル稼動するようになった現在、タイの玄関であったドンムアン空港は、運輸と格安国内線の運行のみを残してひっそりと存続している。そして、この空港内に Royal Airport Service がある。
 スタッフに連れられセキュリティーを通過し、待機していたバンでセスナ待機所まで移動した。バンには他にこのRoyal Aiprot Service でライセンス取得を目指しているという人とその教官とが同乗していた。この教官は17年ほどパイロットをしており、もともとは空軍所属で、その後、ボーイング747を操縦するコマーシャル・パイロットだったそうである。今は、このアカデミーで教官をしているとのこと。
 このアカデミーでは、同乗したタイ人のように免許を取ることも可能である。金額は39万バーツ。授業は土日のみだそうで、6ヶ月かかるらしい。
 さて、パイロット養成学校をかねるオフィスに到着。出してもらったコーヒーをすすっていると、今日の私の教官であるという男性パイロットが入ってきた。先ほどの教官同様、もともと空軍所属だった人で、不定期にここで教えているようである。
 待合の隣にあるミーティングルームでの準備も整い、早速レクチャーである。レクチャーは、スライドを使って教官が説明してくれるのかと思いきや、アメリカの某フライトスクールのDVDクリップを見せられた。内容は、事前にフライトシミュレータのフライングレッスンで勉強していたものがほとんどであったが、新しい話もあった。操縦に関係する重要な機体各部分の説明、エアロダイナミックスの基礎などであった。20分ほど見た後、教官のほうから先ほど見た内容についてもう一度スライドを見ながら、口頭で説明と思しきものがあった。説明と思しき、というのは、これはさっき見たね、的な説明だったからである。
 ちなみに、タイ人の英語は癖があり、なれないと聞き取りが難しいのだが、この教官も癖があり、また、大変流暢というわけでもなかった。DVDの英語は聞きなれたアメリカ英語でまったく問題ないと思うが、英語に慣れていない人には、タイ人の英語はちょっと大変かもしれない。
 非常に簡単なブリーフィングの後、天候の情報を持ってスタッフが入ってきた。その天候状況の紙を見せながら、どのような意味なのか記号の羅列を丁寧に説明してくれた。この日は、ネットの予報では雲がかなりはるという天気予報だったのだが、幸運にも10キロ以上視界良好という状況だった。おかげで、上空で遠くに林立するバンコクのビル群を見ることができた。風は毎時5ノットで、それほどひどい状況ではなかった。
 いよいよ体験操縦。空ではトイレがない。セスナのタンクは燃料満タンでよろしいが、こちらのタンクは空にしておかなければならない。用を済ませ、外へ。今日乗るセスナ172が準備万端待機している。セスナの点検を済ませ、コックピットへ。乗って計器を見ると結構古い機体のようである。パネル上部の光を遮るひさしのような部分が結構ぼろくなっていた。途中で故障しないか少し不安になった。
 教官は副操縦士の席である右側に座る。シートベルトを締め、ブレーキをオンにし、運行前のチェックリストを一つひとつ確認していく。教官は無線の調整をするが、電源が入らないと整備士を呼びつける。整備士は、電源が入ってませんよと答えている。
 え?この教官、大丈夫か。この機体はなれていないからと弁解しているが、不安がさらに募る。
 エンジンを回しプロペラが始動する。その後も、チェックリストの項目を確認し、いよいよ出発だ。教官がタワーとの交信を始め、離陸の許可を求める。OKが出たところでブレーキを解除し、ラダーペダルから足を少し離すとセスナがゆっくりと前に動き出した。一瞬ちょっとあせったが、徐々に前に動く。
 教官が黄色のラインに沿って進むように指示する。が、まっすぐ進まない。
 フライトシミュレータでは、ジョイスティックのみで飛ばしていたので、ラダーを踏んだことがない。ふらふらと進んでいく。初心者は、飛行機が曲がると操縦舵を車のハンドルよろしく動かしてしまうそうだが、ジョイスティックではスティックをひねる操作がラダーになっており、それに慣れていたからか操縦舵をハンドルよろしく動かすことはなかった。ただ、なぜだかわからないが、左にずれているのに左のペダルを踏んでしまい、さらに左へ曲がってしまう。それを教官が直してくれる。しばらくタクシングでまっすぐ進む練習。だいぶ慣れてきた。
 滑走路21の端に到着。その位置で待機。先に格安航空会社ノックエアの飛行機が離陸するようである。離陸の許可がでる。ペダルから足を離し、スロットルを一気に押し込む。ブオーンという轟音を立ててセスナが進む。教官が65ノットで離陸するよう指示。しかし、速度が上がるにつれて機体がまっすぐ向かない。ペダルを踏んで調整するがうまく行かないうちに65ノットになったのか勝手に離陸していた。
 その後は、西へ向かい1500フィートを維持。最終的には2000フィートまで上がり、ぐるぐる回っていた。
 上空はかなりタービュランスが感じられた。安定したシミュレータの飛行とはかなり違う。旋回ばかりしていたので、あまり、空から景色を楽しむという余裕はなかった。というのも、セスナ172は、翼が機体のうえにあるので、旋回して傾いていると下は見えるものの、横から遠くの景色は見えなくなる。
 30分ほど方角を変えたり、旋回したりしているうちに、そろそろ戻る時間になった。下の高速道路を目印に空港へ向かう。タワーからの指示で近くの上空で待機。そして、21R滑走路へ向けて右旋回で進入していく。ダウンウィンドレッグでは、すでに800フィートまで下げて、速度も落ちている。
 着陸直前までは、こちらで操縦したが、シミュレータでもそうだったように、滑走路から見て外側に機体がずれる。ラダーで調整するがうまく行かない。PAPIのランプは白2赤2で理想的だが、300フィートぐらいから教官が着陸するといって操縦を代わる。やはり、ど素人では着陸をすべて行うのは難しい。100フィートぐらいの高さになって、教官がまたこちらで操縦させてくれた。スロットルを完全にオフにして、ゆっくり下りていき、フレアの高さで適当に操縦桿を引く。
 ドスンという音とともに着陸。このときは、あまり大きな衝撃を感じなかったのだが、あとで後ろに仕込んで取っていたビデオを見るとかなりの音がしていた。
 速やかに滑走路を出るためスピードを出して進み、タキシングのため側道へ入る。ところが急にエンジンがノッキングを起こして大変なことに。教官がスロットルを調整して何とか納まる。後は、駐機場まで操縦し、なんとか無事に体験飛行が終わった。
 体験飛行が終わると、修了証をもらうことができる。教官と一緒に記念撮影をし、すべてのプログラムが修了した。
 感想としては、もっと事前にシミュレータで練習しておけばよかったと思った。というのも、この半年近く、仕事が忙しくてまったく操縦桿(ジョイスティック)を握っていなかったからである。復習と称して同じ条件でシミュレータを触ってみたが、やはり、かなり操作がひどくなっていた。ということは、事前にもっとスムーズにできるようにしておけば、実機でももう少しまともに離着陸できただろうなと思ったしだいである。
 次なる目標は、実際にライセンスを取ることであるが、さて、いつになるのやら。
 

2009年8月25日火曜日

日本的仕事ぶりとアメリカ的仕事ぶり?

 先日2年ぶりにアメリカ出張に出かけた。2年前の出張で国内線のチェックインには非常な混雑のため閉口したのだが、今回は行きも帰りも違う空港だったせいなのか、それとも以前ほどセキュリティーがうるさくなくなったのかはわからないが、意外にすんなり通ることができた。
 さて、今回も日本米国間は全日空を利用した。普段は外国系航空会社を使うほうなので、久しぶりの日系きめ細かい?サービスは、さすがに恐れ入った。ともかく、日本人的振る舞い全開で、逆にそこまでへりくだらなくてもと思ってしまったぐらいである。純日本人的感覚からすればどうってことはないのだろうけど。
 例えば、機内で免税品を求められた方に、商品を見せるとき、会計をするとき、客室乗務員の方は必ず膝を折り、片膝を床につけて目線を相手より低くして対応していた。
 行きの便は窓側だった。で、隣通路側はアメリカ人の方だったが、どうもその方は国内線からの乗り継ぎでこの便に搭乗したらしい。そして、離陸後まもなくしてから、客室乗務員がやってきて、膝を折り、下から目線で、大変申し訳なさそうに何かをわびている。ところが、当のアメリカ人は、なぜ自分が謝られているのかトンと見当がついていなかった。
 客室乗務員の英語が明瞭でなかったこともあったのかもしれないが、よく聞いてみると前の便で、コーヒーがそのアメリカ人のズボンにこぼれたようなのである。そこで、クリーニング代を後で請求してくれと説明していたのだ。
 そのアメリカ人の男性は、ようやく合点がいったようなのだが、「そんなことはすっかり忘れていましたよ、気にしないでくれ、あなたの責任ではないし。」とかなり困惑気味に返事をしていた。
 日本人なら前の便の事件のことをまったく異なる飛行機の中で詫びを入れられたとしても、同じ航空会社なのだから、なんら不思議に思わないだろうし、逆に、対応がすばらしいなぁとおもうかもしれない。しかし、アメリカ人にとって見れば、おそらく、対応している便の客室乗務員にはなんら関係ないことなのに、なんであんたらが謝るの?と驚いていたのだろう。
 もちろん、日本文化を背負う会社として前の過ちをきちんと引き継いで、最大限に迅速に可能な範囲で対応し誠意を示すということもあるのだろうが、直接の関係者でなくとも責任を引継ぎ、謝罪するというのは、非常に日本的なことだと感じる。
 また、以前のことでも恩義や責任については次回に会ったときに必ず言及するのも日本的で、今回のこともこの日本的プロトコルと関係するだろう。3日前でも、1ヶ月前でも、果ては1年前でもご馳走になった方にその出来事以降初めて会ったときには、「あの時はどうもありがとうございました。」と感謝する。本人は1年も前のことなどすっかり忘れていてもである。
 英語の習慣では、昨日のことでも「昨日はありがとうございました。」と過去の事を持ち出すことはほとんどない。その時その場でお礼を言って終わりである。
 ましてや、自分の責任のあることなど2度も謝罪することはないだろう。もともとその場であっても、日本人のようにすぐ「すみません。」などということばは出てこない(後に自分に重大な責任が課されない場合、例えばぶつかったとか、足をちょっとふんだとかは逆にすぐ謝る、日本人は正反対に謝らないことが多いが)。
 いずれにしても、日系航空会社のサービス振りは、日本人にとってはかゆいところに手が届くという感じで感心する。
 逆に、外資系の航空会社は、自分に課された最低限のことしかしないことが多い。いや、今回の旅でもアメリカ人は、日本人からすれば結構適当な仕事しかしていないように映る。次の目的地へ向かうため乗ったアメリカ国内線では、そんな事例が立て続けに起こったので、なんと言おうか、あきれたというか、アメリカ的だなと妙に納得したことを書こう。
 SFOから目的地へ向かう飛行機に早々と乗り込んだ。自分の席はだいぶ後ろだ。キャリーバッグを転がしながら、真ん中の非常口席のところでおしゃべりをしているキャビンアテンダントの横を通過し、その後ろのほうの自分の席を見つける。さらに後ろのほうには、ほっそりとした女性が荷物を上げようとしていた。
 自分の荷物を上げてその女性のほうを見ると、重いのかうまくあげることができないでいる。早々に入ってきたので、機体後部には私とその女性しかいなかったのだが、女性がうまくあげられないでいるのを見かねて手伝ってあげた。
 "Thank you." "No problem." とお決まりのことばを交わして前の自分の席に戻ろうとしたら、非常口席付近で依然としておしゃべりをしている客室乗務員が見えた。それを見たら、なんだか腹が立った。
 「お宅ら、何してるの。」
 そう心でつぶやいた。もちろん、客同士が手伝うということはいいことである。が、何か腑に落ちない。日本なら。困っている女性を見たら客室乗務員がさっとやってきて、荷物を上げる手伝いをしているだろうに。
 そんな気持ちとともに、ああ、2年前もそんなことがあったっけ、と思い出した。そのときは、混雑していて、客室乗務員が来づらかったこともあったのだが、私が荷物を上げる手伝いをした。でも、なんで客室乗務員が手伝わないの、と思ったことも思い出した。
 気を取り直して、3席の窓側に座って、座席ポケットのインフライトマガジンを手に取る。しばらくすると、どやどやと残りの客たちが入ってきた。まだ、隣の2席には人が来ないので、うまくいけばラッキーだなぁと思ったのもつかの間、すぐにアメリカ人の老齢のご婦人二人が腰を下ろした。
 その後ろを見るとほとんど満席なのだが、なぜか真後ろの席通路側の女性が立ったままでいる。何でだろうと思っていると、客室乗務員がやってきた。
 女性が、座席クッションにしみが付いているから変えろとのことらしい。客室乗務員は、その客を一瞥すると、ぶつくさ言いながら、べつの客室乗務員を呼んで、対応していたが。その対応の仕方は、普通の日本人からするとなんと尊大な、という感じだろう。
 きちんとシートがきれいになっていないのは航空会社のせい、その会社の一員である客室乗務員がなぜ謝らないのか、と思うかもしれない。しかし、ここはアメリカ。そんなことで謝るはずがない。そもそも、その席の汚れはその客室乗務員のせいではない。なぜ、その客室乗務員が謝罪する必要があるのだろうか。もっともである(もちろん、日本では通用しない論理だが)。
 さて、その女性、座席のクッションを変えてもらい、着席。一同そろったところで、キャプテンからの挨拶。どうも、ヒスパニック系のキャプテンらしく、英語に癖がある。
 それを聞いていた隣のWASP系だろう老婦人たちが、その英語にけちをつけている。なんと言っていたか詳細には忘れたが、品がないだの発音が変だの言っていた。軽い人種差別だろうか?あら、隣は黄色いお猿さんだわ、いやだわ。なんて座るときに思われていたりして。
 さて、飛行機も無事安定した airborne の状態(つまり、水平飛行)に移った。早速機内サービス開始。簡単なおつまみ(プリッツ)と飲み物を配る。カートをつるっぱげ、もとい、スキンヘッドの男性客室乗務員と年配の女性客室乗務員とが配っている。男性の客室乗務員からプリッツの袋をもらったのだが、窓側だったため、やや距離があった。普通、手を伸ばして渡してくれるところを、なんと、このスキンヘッド、ぽんと投げてよこしやがった。こんなことは今までにないことで、びっくり。
 さらに、このスキンヘッド、ガムを噛みながらお仕事中。大リーグでガム噛みながら打席に立つ打者や、戦争映画でガム噛みながら行進する米兵、アメリカ人とガムは切っても切り離せないもののようである。日本じゃ考えられない。
 2時間の飛行の後、飛行機は無事目的地の空港に到着。SFOは真夏にもかかわらず、ジャケットを着ていないと寒くて仕方がなかったが、ここは内陸、夏らしく暑いようである。ただ、その暑さが中途半端ではないことが、客室乗務員のアナウンスでわかった。
 「当機は、定刻どおり○×空港に到着いたしました。機体が完全に止まるまではシートベルトをお閉めください。また、携帯電話のスイッチは機外へ出るまでは入れないでください。」
 こんなアナウンスに続いて、こんな一言が。
"Enjoy the heat wave."(熱波をお楽しみください。)
 これには参った。まず、熱波でかなり暑いということにジャケットを着たままの自分を見て、ゲゲッと思ったのもあるが、何よりも気の利いたアナウンスで面白いと思ったのである。
 機内でのアナウンスは、国際線国内線限らず、どの国でも日本国内であっても必ず英語のアナウンスも入る。アメリカ国内は当然なのだが、しゃべっているのは英語のネイティブであるから、アナウンスも単に書いてあることを読む日系や米系以外の航空会社と違い、客室乗務員自らの表現でアナウンスをしてくれることがよくある。
 2年前も、いろいろとウィットを聞かせながら、機内安全の説明をするフライトアテンダントの話しぶりを聞いて、感心したものだが、今回もそのウィットの効いた一言がとても気に入った。
 ちなみに、その日の気温は106度(約41度)だった。その後、借りた直後のレンタカーの中が暑すぎて死にそうだったのは言うまでもない。

2009年5月6日水曜日

私も世界一流の....?

 今日、珍しく海外から封書が届いた。なんだろうと思って開けてみると、IBC というイギリスの団体からのもので、あなたは「2009年度世界一流の○○」の一人に選ばれました、というようなことの書いてある手紙と、証書のサンプルを印刷したカラーのチラシが入っていた。

 手紙をさらに読んでみれば、IBCの調査編集部において広範な資料の何千という経歴のなかから選ばれたらしい。その基準はというと地域、国内外で十分な業績をあげているかどうかで、あんたは○○の分野の著名な専門家であるので、IBCのおめがねにかなった、とのことらしい。おお、わしもついに実績が認められたか、なんて言えるような立派なことは何もしていないはずだが。

 ふむふむ。この賞に選ばれるとIBCの建物にその名が永遠に刻まれる?おお、すごいなぁ。でも、イギリスのケンブリッジにあるIBCとやらへ行って見に行く機会があるだろうか。

 さらに、選ばれた記念に記念品であるメダルと証書をご用意いたしておりますと?。裏面にもなにやら書いてある。で、手紙を裏返して見ると、裏面は、ノミネート受諾申請書になっている。なになに、

  • フルカラーの縦11インチ、横16インチの証書:US$155.00 または £97.50 、 US$8.00 または £5.00 の送料および手数料
  • 公式銀メッキ記念メダル:US$315.00 または£195.00、US$8.00または £5.00 の送料および手数料
  • 証書と記念メダルのセット: US$465.00 または£292.50 (送料手数料を含む)
 下には、ご丁寧に「お支払いの詳細」として、クレジットカード情報を記載できる部分がある。

 あれ、賞に選ばれたのにこっちがお金を払わないといけないのでしょうか。それもかなり高額。いやいや、こんなすばらしい賞に選ばれたのだから、多少の出費は、、、。というより、これはいわゆる紳士録商法というやつではないか?
 
 さっそくググって見ると、けっこういろんな方がこの章を受けられている。それも名のある機関の。ということは、紳士録商法ではない?しかし、昔、ディプロマミル商法で金を出せば博士号が得られるというものがあり、日本でも結構なのある大学の教授がこれで博士号を受けていたなんて話もあるので、にわかには信じられぬ。

 さらに、英語版のWikipedia で International Biographical Centre を検索してみると、 出てきた。読んでみると特に怪しいということは書いていない(中立的立場で書くのが原則だから当たり前か)。しかし、IBCが出している賞の数の多いこと。ざっとみても50以上はありそうである。

 で、Wikipedia の下の関連リンク(See also) を見ると Author mill, Employment scams, Vanity press, Who's Who scam というのがあるではないか。Who's Who scams とは紳士録詐欺のことであるから、暗にIBCは紳士録詐欺をやらかしている機関であることが伺える。

 ちなみに、Author mill とは一種の自費出版の形態で、大量の作家を生み出して、そこから利益を得ようとする出版の形態のようである。自費出版とは異なり、Author mill の場合は作家はなんらお金を払わなくとも良いらしいが、出版の質は非常に低く、また、販売網も作家自身が開拓しなければならないので、結局自分で再販のために本を買わざるを得なくなるようである。

 また、Employment scams は、魅力的な職を紹介する際に経費としてお金を事前に払わなければならないというもので、海外での魅力的な職を紹介するだとか、銀行口送金だとかあるようである。

 Vanity press は自費出版のことである。

 いずれにしても、名誉欲に駆られる人は、このような紳士録詐欺に引っ掛るのだろう。ちなみに、このIBCのホームページからは、誰かを推薦したり、さらに、自分自身を推薦したりできるようになっている。こりゃまたご丁寧なことで。

 紳士録といえば、世界的に有名なWho's Who があるが、こちらは選ばれてもその紳士録を買う以外はなんら義務はないらしい。

2009年5月3日日曜日

totoくじ

 もともと賭け事やクジ運はあまりよいとは言えないと思っていた。ところが、先々週のことだが、totoクジが当たってしまった。とはいっても、1等のうん(運?)億円ではなく、4等で1万2千円である。それも、1口だけしか買わなかったのにである。

 買ったtotoクジは Bigという最高当選額が6億というとてつもない額の賞金が当たる(可能性がある)クジで、1口300円なり。3回目の購入だったのだが、初回は5口、2回目3口、そして、3回目1口と合計2700円の投資で1万2千円のリターンは、約500%!totoのホームページでの統計では1等当選は10口以上などと書いてあるのからして、1口じゃなにも当たらないかなと思いつつ、複数買ってももったいないから、今回はそれこそ適当に1口だけ買ってみたわけである。

 とりあず、この当選金をもとでに1口買いで1等を目指そうと思う。まあ、そう甘くはないと思うが。ただ、6億当たったらどうしよう!なんていう妄想に近いものを少し楽しみながら、当たった額のみで収めれば損もしないわけだから、そんなドけち根性で続けてみようと思う。

 そういえば、以前、このtotoクジで6億円が当たったという人の話がドラマ化されていた。初回しか見なかったが、やはり、高額当選すると、人生変わるようである。そして、このお方のブログもあるようで、現在は、1億ぐらいしか残っていないようである。

2009年4月27日月曜日

エブリデイイングリッシュ

 英語の聞き取りは苦手である(というより、日本語の聞き取りもおぼつかないこの頃であるが)。英語のニュースなど聞いていても、聞き取れないところがある。当然、生まれてから中学校になるまでほぼ日本語オンリーで育っているので、立派な日本語耳である。RとLやNとNGの区別なぞ自然にはできない。

 この日本語耳でも英語耳になるのだろうか、という疑問があるわけだが、今日、Yahooニュースを見ていたらいつの間にやらエブリディイングリッシュという教材があることを知った。紹介ページには視聴ページもあり、それを試したところ、なるほど、まんざら悪い教材でもないような気がした。

 視聴をしたのみであるが、中身はこうである。日常会話から英字新聞まで英語と日本語が吹き込まれており、そのCDを毎日聞き流しをしているだけでできるようになるという謳い文句である。この教材の面白いところは、ナチュラルスピードのの42.854%アップのスピードで英文と日本語を聞き、その後、ナチュラルスピードで同じ内容のものを聞くと、非常に英語がゆっくり聞こえる、というものである。確かに、約1.5倍になった英文はキュルキュルとしか聞こえないが、その後に聞く英文は一語一語がはっきりと聞こえるではないか。

 これは減速効果と呼ぶべきか、高速道路を走ってから一般道に入るとかなりゆっくり感じるのと同じ効果である。しかし、検証すべきは、聞く順番である。42.854%アップの英文と日本語、そして、普通の速度の英文と日本語と流れるわけだが、42.854%アップの日本語は当然聞き取れている。つまり、英語で言っている意味がわかるわけだ。その後に、英文を普通の速度で聞いたときには、何を言うのかがわかっているので、聞き取りやすくなった、という可能性も捨てきれない。

 当然、意味のわかっている英文は聞き取りやすい、というのはこれまで何度も経験している。一度、日本語抜きで、早回し英語・普通の英語の順で聞いて、日本語の助けなしで聞き取れるか試してみたい。もちろん、この場合でも、2回目であるということから聞き取れる可能性はあるのだが、自分の経験では、1度聞き取れないものは2度目も聞き取れないことが多いから、42.854%からの減速効果があるのかないのか確かめる上では大きな障害要因にはならない気がする。

 ただ、語学学習において、ゆっくりな速度ではじめから聞くのに慣れてしまっていると、ナチュラルスピードの会話を聞き取ることが難しいというのは自明だろう。事実、まったく違う言語を、実地で学んだことがあるが、相手はまったく手加減せず、めちゃくちゃ早口でまくし立てられるという状況を1ヶ月続けた結果、たいていの発話はほとんど聞き取れるようになっていた。きっと英語もそんな風に中学生のときから早いのを聞きまくっていればもっと耳ができていたのかもしれない。え?いまからでも遅くない?エブリディイングリッシュをやれば。。。(はてさて)

2009年4月25日土曜日

てきとうにぶろぐをつくってみた

 てきとうぶろぐ

 当ブログの主

 子もすなるブログといふものを親もしてみむとてするなり。

 子どもにせかされて、適当にブログを作ってみた。当ブログの主はパソコンには精通しているがブログなどは作ったことがなかった。うちの子どもときたら、小学生のうちからブログにはまっている、らしい。

 しかし、ブログというものは何か発信したいものがあってするというのが本来のものだと思っていた。ところがどっこい、世界中のブログの約4割が日本人の手によるものだといわれているが、そのほとんどは、メモ書きや日記らしいので、発信したいから、ということが主たる理由でなくともよいのかもしれない。

 ということで、当ブログの主も、わしもとりあえず書いてみようということで、作成したというわけである。